和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2022/03/11

ウクライナ 六地蔵も

本堂前の六地蔵様もウクライナ色の前掛けにお召し替え。
戦火はますます激しさを増して、女性や子供など弱い立場の人が一層苦しめられています。病院や学校が砲撃され、逃げ惑う人々の姿が映し出されています。戦争を始めるのも人間であるし、平和を生み出すのも人間です。
どうぞ地蔵様、ウクライナで苦しむ人々を救ってください。
戦争という悪から平和という善へ導いてください。遠い国からの和尚の願いです。

追伸:これをお読みの和尚様方、地蔵尊の堂守りの方、お気持ちがおありでしたら「ウクライナ地蔵」の輪を広げていただけませんか。

 

2022/03/07

ウクライナ地蔵

ロシアがウクライナに侵攻して多くの悲劇が起こっています。ウクライナの人々の悲しい状況がTVで伝えられています。それを見るにつけ、胸が締め付けられる思いです。ウクライナ支援の動きが大きくなってきているようです。県内でも燕市の箸屋さんがウクライナ国旗の色をつけた箸を作り、売り上げをウクライナ大使館に寄付するというニュースがありました。またこのニュースを見た別の燕市の方が、ウクライナ色のコースターを作り、やはり寄付をするそうです。
うちのお寺でも何かできないかと妻と相談しまして、妻から地蔵様の前掛けをウクライナ色で作ってもらいました。寄付金に直接つながるものではありませんが、ウクライナの皆さんに地蔵様のご加護があるようにと願っています。
写真は大門の大地蔵様ですが、妻は六地蔵様の前掛けも縫い始めました。
ウクライナに早く平和の日々が訪れますように。

2021/08/22

坐禅の効能 リハビリも加えましょう

Mさんは以前大病して肺を一部摘出されたそうです。今はとても元気ですが、外出の機会を増やそうと、奥様が「行きましょう」と坐禅会にお誘いになり毎週お二人でおいでになります。「リハビリみたいなものですね」と奥様。そうか、坐禅にはリハビリの効能もあったのか。
当寺の坐禅会はゆる~い坐禅会ですので、いす坐禅のMさんには、静かなゆったりとしたひと時を山寺で過ごすことは何よりの健康法だということになるのでしょう。
坐禅で健康増進。健康不安をお持ちの皆さん、当寺のゆる~い坐禅会においでになりませんか。

写真:花が終わったあじさいたち。これから来年の花芽をつける時期に入ります。

2021/07/11

雨を聴く

今朝の坐禅会はNさんとMさんのお二人が参禅されました。お二人とも3週連続です。
坐禅中にけっこう強めの雨が降ってきました。雨に気持ちを寄せていくといろんな雨の音が聞こえます。トタン屋根を叩く音、地面を叩きつける音、樋に集まった雨が側溝に注ぐ音、強まったり弱まったりで変わる山の音・・・。
しばらくすると、やがて意識は雨から離れ別のことを思い始めます。雨の音は気にならなくなります。聞こえなくなっていると言ってもいいようです。雨と一緒に坐っている感じです。

大茶の間に鎮座している達磨様、柱の掛け軸には總持信隆禅師の書で「閑坐聴松風(閑坐して松風を聴く)」とあります。今日の坐禅はまさしく「閑坐聴雨音」でありました。
また、あるお寺の伝道掲示板に「山があれば山を観る、雨に逢えば雨を聴く」とあったのを思い出しました。
一炷坐り終える頃には雨は上がりました。

写真:裏山の様子です。写真左手のあじさいは去年定植していただいたばかりですので背丈が低く草に埋もれています。

 

2021/07/10

母の恩

あじさい:終盤戦です。月曜日辺りから花切り作業に入ります。

今日お見えになったご婦人の話です。あじさいの見物の方でしたが故あって地蔵堂へお連れしました。光照寺の地蔵様は羽生田の地蔵様と同じ満米上人の御作であること、子の健康と無事の成長を願って子を地蔵様にいったん預け、再び地蔵様から授かった子にする取子(とりご)という風習があったこと、などの話をしましたら、そのご婦人は私の話をを聞きながら泣きだされました。
「自分の小さいとき、母は私を背負って羽生田の地蔵様によくいっていたそうです。私が病弱だったからでしょう。私の名前は本当はN子と言うのですが羽生田の地蔵様からA子という名をもらって、今もA子で通しています。なんで名前が二つあるのか小さい時から不思議でした。今日方丈さまからお話を聞いて、母がどれほど苦労したか、私を愛してくれていたかに思いをいたすことができました。」と。
地蔵様の導きによる縁をお感じになりながら山門を後にされました。

写真:「大島緑花」の開花です。装飾花は今後白い線が入ります。両性花は濃い青色になっていきます。実にレアな品種です。今年は咲かないかもと思いましたがようやく開花しました。(レアで貴重ですが綺麗という観点ではどうかな。綺麗かどうかは人それぞれですから。)