和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2024/01/19

親に似てきた

「ハ、ハ、ハクション」とくしゃみをすると続けて何回も「ハックション」と連発するようになりました。一度始まると10回以上続きます。治まるまで相当かかります。山内の者は皆嫌がって近くに寄り付きません。止めようにも止まらないのですから致し方ありません。
そう言えば、父親である先住(せんじゅう:先代住職のこと)もこの癖を持っていて、子である私は近寄らないばかりでなく嫌っていました。とても汚らしく感じたものです。しかし、くしゃみをするたびに私も親そっくりになってきたなあと痛感しています。
一般的に、歳をとると親に似てくると言いますが、本当にそうだと思います。たとえ母親似の男の方であってもシルバー世代に入ると「じいさまによく似てきたなあ」と思います。姿や形がよく似てくるだけでなく言い方や考え方まで似てくるのです。不思議なものですね。亡父、亡母のことは常日頃あまり考えないのですが年齢とともに思い出すことが多くなったように感じます。
「子、親を忘るとも、親、子を忘るることなし」と祖先供養の辞の一節にありますが若い時はそうかもしれませんが、歳をとると(親の年齢に近くなると)子はもちろん親も忘るることなしになるのです。この一節は「父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」をもとにして述べられた言葉のようです。興味のある方は「父母恩重経」を読んでみてください。ネットで調べると見つかります。

写真:永代供養墓の背後に見える地すべり対策工事完了の様子。アンカーを新たに打ち込んであります。(本文とは関係ありません)

2024/01/17

どこかで春が生まれてる って早や!

♪どこかで春が生まれてる ♪どこかで水が流れ出す ♪どこかで雲雀が鳴いている ♪どこかで芽の出る音がする ♪山の三月 ♪東風吹いて ♪どこかで春が生まれてる

この童謡は三月の山の風景ですよね。。ところが、杉の木で囲まれた当寺で最近どうも気になっているのが、杉の葉の先端が黄色っぽく見えるのです。ん?と近寄ってみると写真のように(写真をアップにしてよく見てください)スギ花粉の花粉胞が出来ているのです。これが黄色の正体。まだ一月小正月ですよ。いくらなんでも早すぎませんか。寒い日もありますがやはり暖冬なんですね。(私は花粉症ではありませんが)花粉症の皆さん!今年は早いですよ。対策準備はお早めに。
季節がどんどん前倒しになってきているようです。 フキノトウもで出ているとか・・・。

2024/01/16

地蔵様も寒かろうて

今日は寒い一日でした。朝、目を覚まして外を見ると雪が舞い上がって先が見えません。地吹雪というか屋根雪吹雪の状況でした。強烈な冬型で風が強かったのでこういう日は寒いのです。小正月の頃はだいたい荒れるという口伝の通りですね。寒いといっても冬なのですからそれが当たり前(真理)で、それを受け入れてどう過ごすか(真理とどう一体になるか)ということなのですが。
『春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えてすずしかりけり』道元禅師の和歌です。「本来の面目」というタイトルの和歌集の中の一首です。大自然の本来の面目は「春は花・・・・」なのですからその中に暮らす私の本来の面目は如何に。
良寛和尚は道元禅師のこの歌を引用して、『形見とて 何を残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉』と詠みました。

写真:「風雪や 面目示す 野の地蔵」(方丈)

 

2024/01/15

大鏧(だいけい)が打てない

地震で傾いた韋駄天様を直そうと脚立に上がったのですが、脚立の(開き防止)ストッパーを片方しか掛けなかったので、ずるずると開いてバランスを崩して転倒しました。その時左肩に逆側に力がかかり嫌な感じの痛みが走りました。そしてそのまま転倒。脚立はグニャっと曲がり使い物になりません。左腕は上がらず無理に上げようとすると激痛が。ドクターには診てもらっていませんが靱帯かなあという感じです(靱帯をやったことないのでよくわかりませんが)。右手が大丈夫なので何とか日常生活はできていますが、困ったことの一つに、高い位置にある鏧子(けいす)が打てません。そこで小鏧を代わりに使っていますが、何とも間の抜けた諷経になっています。さらには袈裟を一人で着けられません。早く治るといいのですが。頭を打ったり骨折とかでないのが韋駄天様の御加護かと。
道具はきちんと安全に使いましょう。皆さんもどうぞお気をつけてください。
 

2024/01/14

朝課の参詣

先日、朝4時に電話が鳴りました。告げ(どなたかの死去の連絡)かと身構えましたがそうでなく、「今朝のお勤めは何時からですか」という問い合わせでした。私が朝課を毎日行っていることをご存じの方が朝課に参詣したいのでとのことでした。5時半ですよとお答えしましたが、4時振鈴だと思ってそのまま朝起きしました。果たして、その方は時間においでになり、私の諷経を聞いておられましたが途中で自分の亡き妻の名も読み上げてくれとおっしゃいますので開山堂での祠堂諷経の回向中に読み上げをいたしました。ありがたがっていただきお帰りになりました。
さすがに4時の電話は困りますので、そのように申しましたら、行きたい時は前日の夕方に連絡をくださることになりました。
朝課の参詣は大いに結構なことです。(体調の関係や寝坊などでたまに休む時もありますが、少しハードルが上がりました。)
今の季節、朝課は5時半です。3月以降は5時になります。どうぞ電話なしでおいでください。

写真:地震で傾いた韋駄天様。ローソク、線香などの具足を置く台があったのですが、私の不注意で外れてしまいました。事の顛末は次回で。