和尚のミニ法話

光照寺の和尚によるミニ法話をお届けします。

和尚様和尚様2

2014/05/08

タケノコと親孝行

今年はタケノコが豊作のようです。寺の山にはけっこう竹林があり、タケノコがにょきにょくと出ています。昨年が凶作でしたので、今年はと期待していましたらその通りのようです。
タケノコ料理はさまざまありますが、私は身欠きニシンや人参などの野菜と一緒に煮た味噌味の煮物が好きです。もちろん、タケノコご飯やみそ汁もいいですね。掘ってすぐの料理ならアク抜きする必要もありません。そうそう、ひき肉を挟んだはさみ揚げもいいですね。
当寺の大般若会が近づいてきました。5月18日(日)です。以前より「光照寺の般若はタケノコ般若」と呼ばれています。おとき料理にタケノコがふんだんに使われているからです。大般若会まであと10日間、お勝手の檀家さんは、「大般若まで出ているといいけどね。」と心配していました。
当地方のタケノコは孟宗竹です。孟宗といえば二十四孝。中国に伝わる、親孝行の二十四人の話です。孟宗の母親が冬にタケノコが食べたいと言うので、孟宗はタケノコを探しに竹林に入った。しかし、雪に埋もれた竹林にはタケノコが生えているはずもない。孟宗は悲しむであろう母親の顔を思い、天を見つめてはらはらと涙を流した。その涙が雪に落ちた。すると雪が解け地面からタケノコが伸びてきた。孟宗はこのタケノコを掘り、母親に孝行をすることができた。という話です。(ネットで検索すると、いろいろと探せます。福沢諭吉は二十四孝を批判している文をかいているようですが)
当寺の開山堂の前に衝立があります。衝立の絵が二十四孝の孟宗の絵です。墨が三本流れていますが、孟宗がタケノコを背負って持ち帰る場面の絵です。
タケノコを食すと親孝行をせねばと思いますが、なかなか・・・です。

2014/04/24

春爛漫。花に蜂も蝶も。良寛の漢詩より

今日は気温が上がりました。上着を一枚脱ぎました。草花も元気よく咲き出しています。まさに春爛漫です。境内では、桜が葉桜となり、モクレンも花びらが茶色くなりパラパラと落ちだしています。代わって見事なのが「はなもも」です。赤紫というか濃いピンク色というか実にいい色です。

 

花無心招蝶 (花、心無くして蝶を招き)
蝶無心尋花 (蝶、心無くして花を尋ぬ)
花開時蝶来 (花開くとき 蝶来たり)
蝶来時花開 (蝶来たるとき 花開く)
吾亦不知人 (吾もまた 人を知らず)
人亦不知吾 (人もまた 吾を知らず)
不知従帝則 (知らずして 帝の則に従う)

良寛和尚の漢詩です。
花の周りを蜂や蝶が舞っているのを見ると、花も蝶も季節を忘れることなく、今この時に開き、今この時に飛んでくるのは、大自然の法則(帝の則)なんだと感じ入ります。
私と山伏さんの出会いも、そんな感じなのでしょうかね。(おおげさですね)

良寛の漢詩とはちょっと違いますが、今日の三条新聞に、当寺の永代供養墓の広告を掲載していただきました。これを見て、訪ねておいでになった方がいました。ご自分の先々のことが心配になったということでした。

写真は、鐘楼堂わきの「はなもも」。奥に散り姿のサクラ。

2014/04/23

太鼓とほら貝のコラボ 地蔵講にて

地蔵尊の、年に一度の御開帳が三条新聞の記事に載ったことで、これをどなたかからお聞きになった山伏さんが,地蔵講当日にほら貝を手にしてお参りに来られました。私も初めて会う方です。白装束をまとい、そのものの格好をしておいででした。年の頃は70歳前後でしょうか。定年後に一念発起して高野山で修行されたそうです。思っても見なかったことで少しびっくりしました。法要をどうしようかと考えた結果、地蔵堂での巡堂の時に、私の太鼓にあわせてほら貝を吹いていただくことにしました。最初はちょっと微妙な感じでしたが、そのうちに何となく合ってきて「魂が通ずる」というのでしょうか不思議な感覚になりました。また、般若心経の読経では、錫杖の先っぽのような鈴でしょうか(名前がわからずすみません)、お経に合わせて鳴らしていただきました。私にとって初めてのおもしろく不思議な体験でした。参詣の方々はどのような感想を持たれたのでしょう。
おときを一緒にとお誘いしましたが、分水の「おいらん道中」を見たいからと去って行かれました。
山伏さん、来年もおいでくださいね。

写真は、地蔵堂巡堂での山伏さん。

2014/04/17

地蔵講においでください。

春の地蔵講が近づいてきました。今週末の土曜日(19日)がお逮夜、日曜日(20日)が正当です。本堂前の桜の古木にもたくさんの花がついて今が満開見頃です。19日の晩はビンゴ大会もあります。子供だけでなく大人にもプレゼントありますよ。どうぞおいでください。お檀家の方でなくともどなたでもOKです。地蔵様に身体堅固、無事息災をお願いしてはいかがでしょうか。
本日(4月17日)の地元紙三条新聞に紹介していただきました。そのせいでしょうか、ご無沙汰していた人から電話をいただいたり、東堂様の教え子という人がお参りに来られたり、メディアの力は大きいですね。
 

 

2014/04/04

外作務の季節到来。「一日不作、一日不食」

暖かくなってきました。県内でも、桜の開花のたよりがありました。外で陽光を浴びるのは気持ちのよいものです。外で行う作務も、冬の雪かき作務から草取り作務、花壇づくり作務、山掃除作務へと変わってきました。昨日は樹木の冬囲いを外したり、花壇の畝を整えたり、外でたっぷりと汗をかきました。
禅修行にとって、作務(労働)の重要性はことのほか特筆されます。座禅や読経と同じくらい作務は修行そのものであると言えます。
作務に関しては、百丈懐海和尚(ひゃくじょうえかいおしょう)に有名な逸話があります。

百丈禅師は中国唐代の禅僧で、作務を修行の一環として重視しました。今に至る禅門の伝統をつくるきっかけとなったのが有名な「一日不作、一日不食」(一日なさざれば、一日食らわず)という言葉です。
百丈禅師は老齢になっても鍬や鎌を手にして畑の作務を率先して行っていました。弟子たちは師の高齢の身体を心配して、作務を休むようにお願いするのですが、百丈はいっこうにやめようとしません。そこで弟子たちは師の鎌や鍬などの道具を隠してしまいます。百丈は仕方なく居室に戻られたが、この日から食事に手を付けようとはされなかった。弟子たちが心配して訊ねたところ、「一日不作、一日不食」とこたえられた。

この語の本質的な意味するところは、「働かざる者、食うべからず」ではありません。作務は修行としての仏法の行為であるから、その行いができないことは命をいただいて「食べる」という行為をすることに値しないということです。

まことに厳しい教えです。

写真は、本堂前の路地に咲き始めた水芭蕉の様子です。